2018/09/07

中学受験「志望校を決める。」成績が伸びる時期には個人差があります。

中学受験 過去問の表紙


中学を受験するに頃は、本人がまだ十分に自立していないため、何かと親が首を突っ込み

たくなります。

私もそうでした。

いつの間にか、親の志望校=子供の志望校となります。

ただ、関わり方が間違っているなら・・、子供にとっては大迷惑です。

教育機関とそこに通う学生との関係は「教育経済学」という比較的新しく、興味深い学問


分野があって、実証分析も進んでいるようです。

高等教育レベルで、医師国家試験の合格率の質については、

「日本の医学部においては、教育に関しては教育機関の質よりもともとの学生の能力が重要」
(妹尾 渉(2003)「日本の医学部教育・研究の効率性分析―設置形態に注目して―」日本教育社会学会第55 回大会報告論文)

であるらしいです。

蔵書数や教員比率など、大学の設備と医師国家試験の合格率とは相関関係がないことを示

唆しています。

この論文についての詳細は省きますが、依存関係があるのは、入試時の学生の偏差値

す。

合格率が高い学校に優秀な学生が集まり、学生同士の切磋琢磨により一層、相乗効果が高

くなります。

甲子園の常連校に優秀な選手が集まるのと同じような現象だと思います。

東大や京大などの超一流校は、教育機関として優秀というより、優秀な学生が集ま

る・・。

高校も同じ。

それを中等教育まで下げて考えれば・・。

難関の中高一貫校の難関大学への合格実績は、教育機関としての設備や教員の質よりも、

入学時の学生の偏差値に依存していることになります。

中学校同士は合格実績や設備、カリキュラムなどを喧伝することによって優秀な学生を集

めているに過ぎません。

進学塾も同じだと思います(←親としての体験談)。

それでは、学生の偏差値はどのように決まるのか?

本人が生まれながらにして持っている能力や課程・生活環境」(三木 歩(2007)関西圏主要中高一貫校の経済分析 ―教育の生産関数を用いて―)

となります。

この研究によると、進学校や進学塾は、現在の子供の能力を引き出す媒介に過ぎません。

「教育機関」と名乗る学校にとっては「不都合な真実」です。

学び、記憶し、理解し、問題を処理する能力には、個人差があり、全員同じ時期に受験す

ること自体、無理があるかも知れません。

もし、中学受験で、受験勉強の開始が遅れたとしても、高校受験に照準を合わせたり、リ

ベンジする方法も十分ありではないでしょうか。

合格実績やその勉強法は、受験先が変われば不合格実績でもあり、

他人の能力とわが子の能力は異なります。

であれば、親の志望校なんて親の(世間の?)価値観でしかないのではないかと思います。

子供の志望校に親の価値観を持ち込まないで、進路について、適切な情報を与え、本人が

志望する学校を選択する・・。

需要側の私たち親として、子供に最大限できることは、

「子供の持っている能力を正確に見極め、それを最大限引き出す環境を作る」

ことではないかと思います。

中学入試に合格は確かに喜ばしいことであり、子供の頑張りに大賛辞ですが、

少なくとも「お願いして」入学するようなところではない。

私は親として、

例え不合格であっても、受験勉強を通じて、各教科の基礎学力が向上すればいいのでは

ないか。

と考えるようになっていました。

また、この先、「大学受験を迎えても、その後、大学、社会に出ても、結果はどうであ

れ、ズルやごまかしをしない勤勉な努力家であってほしい」と願っています。

以上、中学受験「志望校を決める。」子供が伸びる時期には個人差があります。・・という話題でした。